自分はこうあるべきだとか、自分はこうなるに相応しい人間であるというように、自分のことを過信しようとすると、うまくいかなかったときにポキッと折れてしまうことがどうしても多くなります。「しょせん自分」とタカをくくったところからスタートして、やってみたら思いの外できたとすればけっこう嬉しかったりします。「どうせ自分」とクサるのではなく。
自分は生きているだけでけっこう人に迷惑をかける存在だけど、それがどうした?という開き直りからスタートし、でも迷惑をかけているのはわかっているから「人はありがたいものだ」と心の底から感謝してるし、少しは人の役にも立ちたいと思っているから、「多少許してネ」っていう謙虚さが生まれると考えています。